
長崎五島列島・福江島生まれ、10代までは島で育ちました
五島列島は、九州の長崎から西へ約100キロ離れた島。今でも、島から出るのには船で2〜4時間、かかります。3〜4時間もあれば、島を一周することができるくらいの大きさで、島の人たちは、なんとなくみんな繋がりがあります。
海はどことなく緑色をしていて、透き通っていて、すごく綺麗。おじいちゃんがとってきてくれたウニを、お庭で食べたときの美味しさは、今でも忘れられません。
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モヤ子が生まれたのも、10代の頃だったように思います
島のカルチャーしか知らない、私の父親は、九州男児×頑固親父を絵に描いたような人でした。叱られるのが嫌で、子供の頃から「いい子」を演じるのが当たり前になっていました。
兄弟・姉妹と自分を比べることも、この頃から当たり前でした。いつの日か、「私だけ、親から可愛がられていないんだ」と感じていました。

島では就職先がないので、高校を卒業して、公務員に。 島を出ました。
職業を選択する自由があることなんて、知りませんでした。世の中にいろんな仕事があることなんて、発想もしませんでした。親が安心する職業を選ぶことしか、知りませんでした。
無事に国家試験に受かることができ、鹿児島の国立大学の職員として就職することになりました。
就職先でマラソンをすることが楽しくなったりもして、フルマラソンにも挑戦しました。仕事はわからないことばかりでしたが、割と楽しい日々でした。

20代早々に結婚、3人の男の子を出産。しましたが、
親に勧められるがままに、それが当たり前だと思って結婚もしました。恋愛をしたり、いろんな人とお付き合いをしたり、別れたり、もしくは結婚をしない人生を選択したり?そんな発想すらないまま、敷かれたレールの上をまっすぐに歩んでいたように思います。
可愛い男の子3人に恵まれましたが、やがて離婚となります。

子供3人を自分の力で育てること。私の人生で、初めて自分で決めた大きな決断でした。
離婚後、元旦那に生活を頼る発想はありませんでした。一人で育てることを決断しました。1番下の子は6歳。上の二人も、まだ小学生。
親が決めた結婚を、私の意思で離婚することになり、親との関係性もさらに縁遠くなりました。親を頼りたいとも思いませんでした。
引っ越しも、学校の転校手続きも、転職も、一人でするしかありませんでしたし、それが当たり前になっていました。

頑なな性格、世間への冷めた自分、でも、作り笑顔は得意になりました。
仕事や人間関係において、理不尽なことがあったとしても、自分の意見を伝えることはしませんでした。問題を大きくしたくなかったからです。理解をしてもらえるとも思わなかったからです。
それよりも、そつなくその場を終わらせて、家に帰って家事をすることのほうが、私にとっては大切でした。
心を開いて会話ができる人は、ごくごく僅かでしたし、忙しいあまり、そんな時間をつくることもありませんでした。

子育てを終えたら、頑張る原動力が消えました。
三男が通う大学の、最後の学費を納めたら、私の中で何かのスイッチが切れる感覚がありました。
それからというもの、間違いが許されない職場でハードな仕事をこなすエネルギーは無くなりました。
「早期退職」の案内が初めて目に入り、迷いもなく決断しました。

Googleを検索していたら、なんとなく気になるところが。
それが、みらい価値創造支援協会の人たちとのご縁の始まりでした。
動画を見たり、セミナーに参加したり、いろんな人たちと出会ったり、いろんなところへ出かけたり。今まで経験したことのない世界が見え始めました。
潜在意識の学びは興味深く、もっとわかりやすく人に伝えることができたらと、考えるようにもなりました。

モヤ子の存在を認識したのは、東京に行くようになった頃。
私が得意にしていた「作り笑い(心のうちを見せない特技)」を、ただ一人、見抜いている人がいました。みらい価値創造支援協会の、中島さんです。
それからというもの、私が自分でも気づいていない「心の奥底の本音」=モヤ子と、何人も何人も出会いました。笑
あまりに沢山のモヤ子がいて、みんなを愛おしく思えるまでは、大変でしたが、今となっては懐かしい日々。笑

見える世界が様変わり。
モヤ子を愛おしく思えるようになった頃、現実に見える世界がガラリと変わり始めました。
長い間、仲違いしていた親と、40年ぶり?50年ぶり?に、きちんと話をすることができました。
「私は親から愛されていない」と思い続けて生きていた50年が、まるで違うものに見えるようになりました。
自分でもまだ信じられなくて、親と話をするのは、なんだか気恥ずかしいです。笑

55歳、大都会東京で一人暮らしスタート。
島と、子育てと、公務員の仕事しか知らない私にとって、新しい環境で自分の時間を作ることは、とても刺激的に感じました。
同世代の女性なら当たり前のように知っていることも、私には目新しいことが沢山ありました。
九州から、東京に引っ越すことも、躊躇なくできました。
今は、ゆっくりと美味しいご飯を味わえる時間が、とても幸せです。
子育てや仕事やストレスに追われていた頃は、そんな幸せを感じる心の余裕がなかったことにも、最近気づきました。

趣味や友達も増えました
毎朝、5時に起きて、近くの公園で10キロマラソンをして、6時半からラジオ体操をしています。公園で出会った体操仲間の方が、毎朝道路のゴミ拾いをされているのを知り、私もゴミ拾いを続けています。
ゴミは、拾っても拾っても、また次の日になると、捨てられています。

サーフィンもはじめました
体力には自信がある私ですが、サーフィンは本当にハードで、難しいです。でも、いつも一緒に海に行く素敵な仲間たちのおかげで、少し波に乗れるようにもなりました。
教えてくださっている方にも、少し恩返しができたかなと、感じています。
水玉模様のサーフボードは、自分でデザインして、私の体に合うものを作っていただきました。

仕事のスタイルも変わりました
みらい価値創造支援協会で提供している、ライフヴィジョンパートナーというお仕事を数年前からスタートしており、自宅でズームを使って、カウンセリングをお仕事にすることができるようになりました。
スケジュールが空いている日は、人生初めての「アルバイト!」にも挑戦しています。
世の中には、いろんな仕事があって、いろんな人がいて、いろんな環境があって、知らないことがたくさんあって、新しい発見がいっぱいあります。

モヤ子のおかげで、私の人生は大きく変わりました。これからも一緒に生きていこう。
辛いことも、苦しいことも、モヤモヤも、潜在意識から紐解くことによって全てより良い未来に繋げていくことができます。
今の私が、ちょっと前までは想像もしていなかった人生を歩んでいるように、このページを見てくださっているあなたにも、素晴らしい人生が必ず待っています。
いつかどこかで、あなたと、あなたのモヤ子とお会いできる日を、心から楽しみにしています。



3人の息子、3人のお嫁さん、7人の孫。
初めてみんなで、五島列島の実家を訪ねて、父と母に家族を引き合わせることができました。
